浦島太郎
まさかの事態だ。
俺の持っている紙袋から聞こえてくる秒針の音が、神経を逆立てる。 この時代にアナログな時計を使うなんて、漫画かドラマの見すぎだ。 俺は駅前のベンチに座り、今までの出来事を整理する。
事の発端は、彼女の弟が遊びに来たいと言ってきたところから始まる。
「別に良いでしょ、1日くらい……」俺の方を見向きもせずに彼女が言う。
3日前に浮気がばれてから続く、この修羅場の中での弟の訪問だ。俺に断る術はない。
「すみません、急に……」
弟は、その日の夕方にやって来た。彼女よりも3歳下だという弟君は、なかなか爽やかな好青年だ。
初対面ではあったが、機嫌が非常に悪い彼女があまり喋らないので、俺が弟の会話の相手となる。
終始無言で彼女は機嫌が悪い事を隠そうともしない。不穏な空気を感じとった弟が俺に耳打ちする。
「姉ちゃん、怒ったら怖くないですか?」 俺は何度も頷く。
次の日、昼までには弟は帰るという。
俺は彼女と2人きりになるので、できれば弟にいて欲しかったが、そんな事は言えない。
「駅まで送ってもらって良いですか?」と弟が言うので、俺は良いよと言う。
少しでも、彼女と2人になる時間を遅らせたい。
彼女は何の反応もしないところを見ると、見送りには来ないらしい。
我が家から駅までは、歩いて10分程だ。他愛もない話をしているとすぐに駅に着いた。
俺としては、まだ家には帰りたくないが引き留める訳にもいかない。
「まぁ、また遊びに来てよ」と俺が言うと、「あ、そうだ忘れてた」と弟はリュックから紙袋を出して俺に渡す。
そして、紙袋を受け取った俺の手首に手錠がガチャリとかけられる。
「何、どうしたの?」俺は手錠がかかった自分の手首を見て言う。
手錠の反対側は、紙袋の中に入った金属製の箱の取っ手に掛かっている。
「ごめん、姉さんに頼まれて……」申し訳なさそうに弟は言う。
紙袋の中の箱からは時計のような音が聞こえる。
「何、これ?」と聞くと、「爆弾」と弟が答える。
「姉が、あなたを爆破したいそうです」弟は真顔で言う。
彼女が何でこんな事を、と考えるまでもない、浮気の件だ。
「思い当たる節ありますよね……?」
「ある。でも、彼女は爆弾なんて作れるの?」
「今は、インターネットで作り方探せるらしいですよ。それに姉は理系の大学出てますから……」
そういえば、彼女は化学の学部だったな。
「でも、こんなことで俺が死んだら、君も捕まるよ?」
「それは大丈夫です。腕が吹っ飛ぶくらいで、死なないそうですから」
いや、そういう問題じゃないだろう、姉もヤバいが弟も抜けているのか……
「死ななくても、君たち捕まるだろう! とにかく、手錠を外してくれよ」
弟は少し考えていたが、残念そうに「鍵は姉しか持っていません」と言った。
「ちょっと、これはいつ爆発するの?」
「今日の15時です」
あと3時間しかないじゃないか。
「ちょっと、俺はすぐに警察行くよ。君たち捕まるよ」
弟は警察はまずいと思ったのか、少し困惑しながらこんな事を言った。
「とりあえず、姉に鍵を開けてもらえるようお願いしてください。俺は鍵を開けられる人に心当たりがあるので頼んでみます!」
俺はすぐにアパートに行ったが、彼女はすでに居なかった。電話も電源が切られている。
俺は弟に電話をかける。
「お姉さん、居ないぞ。電話も電源が切られている」
「分かりました、こっちは鍵を開けられる人が見つかったのでそちらに向かってます。駅前で待っていてください」
なんで弟は手錠の鍵を開けられるような人と知り合いなのか分からないが、とにかく言うことを聞くしかない。
俺は駅前に行き、ベンチに腰を掛ける。忌々しい時計の音を聞きながら弟が到着するのを待っている。 と、これが今までのいきさつだ。
弟が14時まで来なければ、俺は警察に泣きつこうと心に決めていた。
「連れてきました」
弟は13時50分に現れた。一緒にいるのはダボッとした洋服にキャップを被って、サングラスとマスクをした男だか女だか分からないヤツだ。
まぁ、手錠の鍵を開けられるんだから、真っ当じゃないし、素性を知られたくないんだろう。こちらが挨拶しても、軽く会釈をするだけだった。
とにかく、俺達は急いでアパートに行き、鍵の解錠を試みる。
いくつかの工具を取り出し、手錠の鍵穴をいじくり始める。
そんなに簡単に開くとは思っていないが、なかなか開かない。
もう、残り20分だ。
「おい、ちょっと早くしてくれよ」俺は焦りだす。
作業を見ていた弟が気づく。「そういえば、鍵が開いたら爆弾どうするんですか?」
そっか、それを考えていなかった。どうしたものか考える。
「穴に埋めれば良いんじゃないか?」
「今から掘るんですか? あと15分ですよ」
穴を掘るのは間に合わないか、スコップも無いしな……
「海に捨てるのはどうだ?」
「いやいや、もっと間に合わないでしょう。あと10分ですよ」
マジか、あと10分しかないのか。
「じゃあ、仕方ない。風呂桶に水をはってくれ。そこに入れる。風呂場が壊れるかもしれないが、仕方ない」
「分かりました」弟は風呂桶に水をはりにいく。 気づけば、あと5分だ。
時計の秒針の音が、神経にグサグサ刺さる。
「ちょっと、いい加減にしてくれ! まだ開かないのか!」俺は半狂乱になってくる。
残り3分。もう駄目か。
「頼む、開いてくれ!」もはや、願う事しかできない。
弟も、俺のことを壁に隠れて遠くから見ている。
残り1分。もう小便をチビリそうだ。意識が薄くなって、さよなら、俺の右手と思っていたら、カチリと音がした。
見ると手錠が開いて、俺の右手が自由になっている。
「やったぁ!」遠くから弟が叫ぶ。
俺は、朦朧としかけた意識を取り戻し、爆弾を風呂場に持っていかねばと思い出す。
「うぉぉぉ」と叫び、箱をつかみ頭上に持ち上げた瞬間。
パン、パーン! という爆発音が箱から炸裂する。
箱はクラッカーのように派手な音をたてて中身を空中にぶちまけた。
爆弾が爆発したと思い、俺はその場に固まる。そして俺の股間からは温かな湯気が立つ。
小便を漏らすなんて、いつぶりだろう……
ひらひらと空中から紙が舞い落ちてきて、俺の顔面に着地する。
「バーカ!」という声が後ろから聞こえる。俺が振り向くと、鍵を開けたヤツがキャップをとり、サングラスとマスクを外した。
そこには、彼女がいた。
鍵師は彼女だったらしい。
俺は、その場に崩れ落ち、顔に付いた紙をとる。紙には「死ね」という文字。
「姉ちゃん、やり過ぎだよ。彼氏さん髪が白くなっちゃったよ……」
どうやら、玉手箱が開いて、俺は年老いたらしい。浦島太郎のように……
はん、と軽く笑い、彼女が吐き捨てるように言った。
「そいつが、浮気というパンドラの箱を開けたのよ」
彼女の強い声が脳に響く。
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