◆ 形状記憶 ◆ ②
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バスは駅前を目指して走っていく。
駅前到着時刻は7時46分。このまま行けば、誤差なく到着し、私はその5分後に到着する電車に乗ることができる。
電車に比べ、バスは渋滞や信号待ちがあるため、時間に誤差が出やすい。
だが、この時間のバスを運転する運転手は優秀で、時間通りにバスを運行することにかけては素晴らしいものがある。
この形状記憶されたバスの運行には、彼の力が大いに寄与されている。
「バスを止めろー!!」 突然、若い男が叫ぶ。 手には包丁が握られており、目の焦点が怪しい。
いきなりの出来事に乗客全員の視線が集まる。
先程の痴漢騒ぎに触発された訳でもないだろうが、彼は興奮した様子を隠そうともしない。
若い男から乗客が離れ、彼の周りから人が居なくなる。
正直、もうバスは通常運行できないだろうと絶望しかけたが、バスは止まらない……
このバスの運転手のプロとしての姿勢に感動を覚えながら、カバンから折りたたみ傘を出し、私は席を立つ……。
若い男が私の方を向くと同時に傘を振り下ろす。折りたたみ傘の柄の部分が伸び、傘は包丁を叩き落とす。
カシャンと包丁が床に落ちると同時に、作業着の男が若い男の襟を掴む。
バスは大きく速度を落とした。
神経質そうなサラリーマンが窓を開け、作業着の男は若い男を頭から窓にぶち込む。
若い男は、窓を起点に前回りをして外に放り出される。
神経質そうなサラリーマンが、いつの間にか包丁を拾っていて、それを窓の外に落とす。
バスは再び速度をあげる。
作業着の男は席に戻り、神経質そうなサラリーマンは何もないように定位置に戻り、バスはまた日常を取り戻す。
形状記憶のように元に戻されたバスは、誤差なく定時に駅前に到着するだろう。
「毎日同じなんて刺激がなくて、つまらなくないんですか?」と職場の部下は言っていた。
「そんなことはない」 私の答えはいつも同じだ。
私は、変わらない毎日を愛している。
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