✾ Sheep ✾
「あら、珍しいわね。植物買って来るなんて」
俺が、植木鉢に水をあげていると、タトゥが通りかかり声をかけてきた。
「まぁ、買って来た訳じゃないけどな…」
しかし、植物なんて育てたことがないので、枯らすまいか心配ではある。
「おっ、ついに盆栽でも始めたか!」ネイも顔を出すが、俺は無視をする。
しかし、なんで植物に興味のない俺が、植木鉢に水をやるハメになったのか。
話は1週間前に遡る。
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その日、ガレージで雑誌を読んでいた俺に、知らない男が話しかけてきた。
「トゥランさんですよね? 申し訳ないんですが、頼みごとがありまして…」
男は、俺と同じ位の年齢。多分、60歳前後だろう… 身なりは決して立派とは言えないが、話し方は丁寧で教養のある感じだった。
俺が、黙って男を見ていると、男は話を続ける。
「実は、この植物を預かっていただきたいのです。必ず、近日中に受け取りに来ますので」
そう言い、男は植木鉢を差し出す。
「ちょっと、待ってくれよ。俺は植物なんか育てたことないぞ…」
「いえ、この植物はとても丈夫ですので、水さえやれば大丈夫です」
男は無理矢理、俺に植木鉢を持たせる。
「よろしくお願い致します」 男は、深々とお辞儀をすると、さっさと歩いて行ってしまう。
「ちょっと、待ってくれよ!」 俺は、慌てて植木鉢を地面に置き、男を追いかける。
男が曲がった角まで走ったが、すでに男の姿はなかった。
「一体、何なんだ…」
と、訳が分からずに植木鉢の世話をする破目になった訳だ。
植木鉢は6号サイズで、両手で持つと収まりの良い位の大きさだ。
木は高さ30センチ位で、淡い黄色の花が2つ咲いていた。
ここ1週間、毎日水だけをあげて、陽当りの良さそうなガレージの隅に置いている。
「しかし、あの男は、全然取りに来ないな」とボヤきながら水をやっていると「あら、良いじゃない。迷惑かける物でもないし…」とタトゥが言う。
更に月日が経っても、男は現れず、花は枯れて、白い綿のようなものが花の後に咲いている。
「なんだ、これは羊みたいだな」 もしかして、俺の世話が悪かったのか?
「これは、綿花よ」 タトゥが綿をつつく。
「綿花って?」 ウズィがタトゥに尋ねる。
「この綿が、洋服とかになるのよ」
「ふ〜ん… そうだ、トゥランに手紙が来てたよ」 ウズィがポケットから封筒を出し、俺に差し出す。
「なんだ、差出人も消印も無いじゃないか、イタズラか?」 俺は、封筒を破き、中から便箋を取り出し、読み上げる。
「一身上の都合で、鉢植えを取りに行けません。申し訳ないですが、鉢植えを下記の方へ届けて下さい…」
俺は便箋を畳み、封筒に戻す。
「なんだ、あの男、今度はお使いを頼みやがった」
タトゥが笑いながら言う。
「でも、届けてあげるのね…」
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「あら、懐かしい植物ね」
老女が微笑む。
手紙にあった訪ね先は、この老女だった。
老女が居る場所は、末期患者の集まるホスピスだ。彼女は、痩せてはいたが、顔色は良く、お喋りも達者だ。
「あなたの知り合いから、お使いを頼まれたよ」
俺は植木鉢を彼女に手渡す。
「この植物はね。シープと言って、私達が品種改良で開発したのよ」
彼女は懐かしそうに植物を見つめて、綿の部分を撫でる。
「かなり昔だけど、夫と一緒に丈夫で砂漠でも成長する綿花を作ろうと、研究してたの。この砂漠化が進む国を緑化して、産業発展にも役立てるのを夢見てね…」
「それは素晴らしい夢だな… じゃあ、これを届けるよう頼んだ男は、あなたの旦那さんか」
「多分、そうね。これを知っている人は夫しかいないもの」
あの男は、この老女の旦那だとすると、少し若すぎる気がする。まぁ、歳の離れた夫婦かもしれんが…
「あの… 開発は上手くいかなかったんですか?」
一緒に付いてきたタトゥが質問する。
「そうなの… 丈夫な綿花になったし、実は成長すると、この綿花は通常よりも大きくなるのよ。ただ… 繁殖力が弱くて… せっかく育っても増えないんじゃね…」
「研究は辞めてしまったんですか?」
「色々あって、十年前に辞めてしまったわ」
「そう、残念ね…」 同じ元研究者としての素直な感想だろう。タトゥは本当に残念そうだ。
そこで、思い出したように老女が手を叩く。
「そういえば、夫が改良したいくつかの試作品が研究所の周りに植えられているわ! もしかしたら、上手くいっている品種があるかも…」
「研究の結果を見れないで、辞めたんですか?」
「そうなの、本当に急に辞めなくちゃいけなくなって…」
聞けば、研究所(と言っても、掘っ立て小屋のようなものらしい…)は砂漠の中にあり、だいぶ街から離れているらしい。
「もし、良ければですけど、私達で結果を見てきましょうか?」
もしかして、私達には俺が含まれているのだろうか。
「本当に? 嬉しいわ!」
老女は手を叩いて、喜んだ。
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街を出て、砂漠を走り、小高い丘が見えてきた。研究所はこの丘を越えたところにあるのだが、タトゥが丘に登ろうと言い出した。
「せっかく、久しぶりの遠出だし、丘に登れば、研究所の周りも一望できるわよ」
「僕も登りたい!」
ウズィも賛成するので、反論する気も失せ、素直に従う。
日中の太陽が照りつける中、砂漠の中の丘を登っていく。一体、俺は何をやっているのだろう…
一足先に頂上に登ったウズィが叫ぶ。
「トゥラン、早く来て!」
歳は取りたくない… この程度で息があがってくる。
なんとか頂上まで登って下を見渡すと思わずつぶやいた。
「これは、まるで羊の大群じゃないか…」
そう、研究所と思われる掘っ立て小屋の周囲には、白い羊の大群のように綿花が咲き乱れていた。
「旦那さんの研究が成功したのね。見渡す限りの綿花だわ…」
タトゥが感動した声でつぶやいた。
繁殖しないという弱点を克服した綿花は、砂漠いっぱいに咲き乱れていた。羊の群れが地平線まで続くようだ。
「写真を撮ってあげましょう。お婆さんに見せないと」
タトゥがカメラを構える。
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「ありがとう…」
老女は、写真に写った羊の群れを見ると、そう言った。
「今度、旦那と見に行ければ良いな」
老女は、俺に笑顔を向ける。
「旦那は十年前に亡くなったけどね…」
「え?」俺は、背中がゾワッとするのを感じる。
「あなたの話から考えても、間違いなく旦那よ。植木鉢を持ってきたのは… きっと、研究の成功を教えたかったのね。自分が十年前に死んで研究を見届ける人が居なくなったから…」
そうか、あの男が老女の旦那にしては若いのは、十年前に死んだ姿から変わらないからだ。
「それだけかしら?」タトゥが老女に問いかける。
「旦那さんは、あなたと研究していた頃が幸せだったから、思い出して欲しかったんじゃないかな?」
老女は、窓の外を眺める。
「そうかもね…」
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テレビでアナウンサーが、ニュースを読み上げる。
砂漠で育つ綿花のニュースだ。丈夫で繁殖力も強い、この綿花はこの国の砂漠化を食い止め、なおかつ新しい産業にもなり得る希望らしい…
しかも、開発者の女性の遺言は、特許は放棄するので、世のために役立てて欲しいというものだったらしい。
まさに夢のような話だ。