♞ウーマ♞
街の中心部にあるビルの近く駐車場。俺は、元世界チャンピオンの顔に警棒を突きつける。
「今さら、どうする気もない。本当のことを教えてくれないか?」
チャンピオンは、少し笑う。
「爺さん、勘違いしてるぞ。八百長を持ちかけたのはネイだよ…」
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「行け〜!」 ネイが、馬券を握りしめて叫ぶ。
お目当ての馬は、残念ながら巻き返すことなく、3位でゴールした。
「くそ!」と、思いっきり馬券を地面に投げ捨てて、ネイが悔しがる。
「こんなに、なっちゃ駄目よ」とタトゥがウズィの耳元で囁いた。
「うん…」とウズィが答える。
確かに、ウズィがネイみたいになるとは考え難い。
「さぁ、帰るぞ」と俺がネイの肩を叩く。
ガックリとうなだれたネイは、トボトボと歩きだした。
「飯でも食って帰るか」と落ち込んでいるネイに聞くと、「奢ってくれるのか?」と顔を輝かせる。
「なんで、あんたになんか奢るのよ! 勝手に競馬で負けたんでしょ!」とタトゥが答える。
「うるせぇな、俺はトゥランに聞いているんだよ。頼むよ、トゥラン」とネイがすがりついてくる。
その時、クラクションを鳴らす車が近づいてきて停まった。
運転席の窓が下がり、ガッシリした体格の男が顔を出して、ネイに話しかけた。 「久しぶりだな、ネイ! 元気にしているのか!」
なかなか、男前の青年だ。
ネイは、その男をチラッと見ると、気まずそうに「あぁ、元気だよ…」とボソッと答える。
ウズィが体格の良い男を見て、俺の袖を引っ張りながら「ねぇ、トゥラン、あの人ウーマだよ」と言う。
その体格の良い男は、元ボクシング世界チャンピオンで、引退した今はいくつかのジムを経営し、テレビにもよく出演しているウーマという男だった。
「何で、ネイがウーマと知り合いなの?」とウズィがネイに聞くと、ネイは「トゥラン、先に帰るぞ」と言って、一人で帰ってしまった。
「サイン下さい!」
ウーマに気づいた通行人たちが握手とサインを求めてベンツに群がり始める。
「あらあら、凄い人気ね…」その様子を見てタトゥが呟く。
その夜、家に帰り、ウズィとタトゥと俺の3人で食卓を囲む。
今日の夕食は、ミートスパゲティだ。
「そういえば、何でネイとウーマが知り合いだったのかな?」
ウズィが口の中のスパゲティを咀嚼しながらタトゥに尋ねる。
「さぁ、たまたま近所だったんじゃない?」
「そうかな?」
その会話を聞いていた俺が、疑問を解消してやる。
「ネイが元プロボクサーで、ウーマと対戦したからだよ」
ウズィとタトゥの手が止まり、食卓が静まる。
そして、2人が口を揃えて叫ぶ。
「ウソ〜!」
俺は、想像した通りの2人の反応に、やはりなと思いながら、教えてやる。
「ネイは、あぁ見えてトップランカーのボクサーだったんだよ」
タトゥとウズィは、呆気にとられた顔で聞いている。
「ネイは、ウーマとタイトル戦をしている。ウーマがネイに勝利を納め、ウーマはその後、世界チャンプまで昇りつめ、ネイは転落した」
「正反対の人生ね。運命の分かれ道だったのね…」 タトゥが呟く。
「そうだな… ただ…」
「ただ?」とウズィが聞き返す。
「あの一戦は、八百長だったという噂がある」
俺は、昔のことを思い出しながら、ゆっくりと喋る。
「ネイは当時勢いに乗っていて、ウーマに勝つというのが周囲の予想だった。しかし、不自然にも当日の試合では動きが悪く、あっさり敗けている」
俺はコップに入ったコーヒーを飲み干して続ける。
「しかも、試合前に近づいてきた女と試合後に別れている。その女は、ウーマ陣営が用意したんじゃないかと言われている…」
「つまり、その女の人を使って八百長が組まれたということ?」
ウズィが腕を組んで考える。
「分からんな。これは、本人達にしか…」
「じゃあ、ネイに聞いてみようよ」
「無駄だ… 俺も聞いたことがあるが、喋らない」
ここで、ウズィが気付く。
「それにしては、トゥランは詳しく知ってるんだね」
「調べたんだよ。俺はネイのファンだったんだ」
俺は昔のネイのボクシングを思い出す。あの見た目からは想像できないが、高度なテクニックを有した技巧派ボクサーだった。
ウズィが思いついたように言う。
「じゃあさ、もう1人に聞きに行こうよ!」
俺は聞き返す。
「もう1人?」
ウズィは笑う。
「そう、ウーマに!」
街の中心部。富裕層が多いこの地域にウーマの経営するフィットネスジムの入ったビルがある。
なかなか立派なビルで、地下の駐車場には高級車がたくさん駐車してある。
「ウーマさん、聞きたいことがあるのですが…」 俺は、フィットネスジムが終わり駐車場に降りてきたウーマを待ち伏せした。
タトゥとウズィは隅に隠れて、やりとりを聞いているはずだ。
ウーマは、俺のことを無視して車に乗り込もうとする。
「あんたは8年前、ネイとのタイトルマッチで八百長をしたよな?」
ウーマの動きが止まり、俺を見る。
俺は続ける。
「あの頃、ネイには女が出来た。あんたが仕向けた女だ。そして、タイトルマッチが終わると2人は別れている…」
「おい、爺さん…」 ウーマは、俺に向かって歩いてくる。
俺は構わず続ける… 「あんたには、昔から黒い噂があったな。ギャングと繋がっているという… ネイよりも人気があったあんたが勝てば、見返すも大きく、あいつらも潤う。正にウィンウィンだ」
ウーマは何も言わずに、俺に殴りかかってきた。すんでのところで後ろに下がる。
流石に元世界チャンピオンの拳を受けたら、ひとたまりもない。
「ちょっと…」と言って、タトゥが顔を出す。
俺は、下がっていろと手で合図を送る。
俺は更に後に下がり、距離をとり、腰に仕込んでいた特殊警棒を取り出す。
特殊警棒を振り出すと、60センチ程の長さになる。それを斜に構える。
「爺さん… やめとけよ」 ウーマは、ゆっくり近づいてくる。
警棒の間合いに入るところで、俺が前に出る。それに合わせてウーマが拳を振るう。
拳が届く前に警棒がウーマの喉元を押さえつけ、ウーマを地面に押し倒す。
俺は、ウーマの顔に警棒を突きつける。
「今さら、どうする気もない。本当のことを教えてくれないか?」
チャンピオンは、少し笑う。
「爺さん、勘違いしてるぞ。八百長を持ちかけたのはネイだよ…」
俺は黙ってウーマを見つめる。
「確かに、親しいギャングがあの女を使って、八百長を仕掛けようとしてたさ。でも、ネイのストイックなトレーニングを見て、女が八百長を持ちかけるのを、どうしても出来ないと断わってきやがった…」
昔のネイは、そうとうストイックだったらしい。今からは想像出来ない…
「だから、俺達は八百長を諦めたが、ネイの方から話を持ち込んできた。急に金が必要になったとな…」
「何故だ?」 俺の側に、タトゥとウズィが集まってくる。
「女の身の上を聞いちまったからだよ…」
なるほど、ギャングに使われる位だから、女には訳ありの身の上があるのだろう。
「女には、ギャンブル狂いの旦那と病気の子供が居てな。借金のせいで明日にも一家心中寸前だったんだよ」
あぁ見えてお人好しのネイだ。そんな話を聞いたら、どうしようもない…
「結局、ネイが八百長するから金をくれと言いだしたんだ」
そうして、ネイは表舞台から消えたのか…
「分かった、ありがとう」 俺は、警棒を引っ込める。
ウーマは下を向いて笑っていた。
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今日は、良い天気だ。
ガレージに陽の光がよく当たり、半袖でも良いくらいだ。
「トゥラン、飯食わせてくれ、また競馬でスッちまった…」
ネイが不景気を絵にかいたような顔をしてガレージに入ってくる。
「あぁ、最近は駄目だ。ツキがねぇ」と言って、イスに腰掛ける。
「お前は、いつも勝てないのに、よくギャンブルやるな…」 半ば、呆れてネイに言うと、ムスッと黙り込む。
「はい」 タトゥが、ネイにパスタを渡す。昨日の残りを温めたのだろう…
ネイが驚いた顔をして、俺を見る。そんなにタトゥの優しさが驚きなのか…
それにしても、今日は良い天気だ。